建築エッセー:遥かなる記憶への旅立ち
《「ラ・トゥーレット修道院」が牽引するリヨン建築群》

淵上 正幸(建築ジャーナリスト)

都市は物語に満ちている。都市に滞在し、いろいろ体験するところから物語は生まれてくる。リヨンはフランス第2の都市である。またリヨンを流れるローヌ川はセーヌ川に次ぐフランス第2の大河である。というわけで、リヨンは正にフランスの第2づくしの街ということになる。建築ツアーでリヨンに行くということは、コルビュジエの「ラ・トゥーレット修道院(1)」を訪れるということでもある。逆に「ラ・トゥーレット修道院」があるから、リヨンに行くということでもある。リヨンはフランス第2の都市なので建築も多い。歴史的な観点から見ても重要な建築がある。まずリヨンといえば、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したトニー・ガルニエの名前が浮かぶ。彼は未来を見据えた「工業都市」のプランを発表した。これを見たコルビュジエは彼を訪問し絶賛した。リヨンには彼の「ラ・ムーッシュ公営屠殺場(2)」など多数の建築作品が残されている。

リヨンのダウンタウンには現代世界建築の巨匠たちの作品が多い。曰く、ジャン・ヌーヴェルの「国立リヨン・オペラ座改修(3)」、レンゾ・ピアノの「国際都市(4)」、サンティヤゴ・カラトラヴァの「 サン・テグチュペリ空港駅(5)」、ジュルダ+ペロダンの「インターナショナル・スクール(6)」や「リヨン建築学校(7)」など。ヌーヴェルの「オペラ座」は、エントランス・ロビーは真っ黒で驚かされる。ところが劇場ホールに入ると真っ赤でこの対比は強烈だ。ピアノの「国際都市」は巨大で見学に時間がかかる。カラトラヴァの「空港駅」は今にも鳥が飛び立つかのようなダイナミズムをはらんだ形態。これらは現代作品とはいえ、今から30年ほど前に完成した作品で、拙著『ヨーロッパ建築案内―1』に出ている比較的に古い作品だ。 ところがリヨンにはローヌ川とソーヌ川に挟まれた半島のように長いエリアがあり、そこには廃棄されたかつての造船所などがあり、著名建築家による再開発が進み出した。特に半島の先端部分にあるコンフリュアンス(合流の意)地区に完成したのが、コープ・ヒンメルブラウの「コンフリュアンス博物館(8)」だ。これは南方向からリヨンに入るゲートウェイとして建てられたランドマークだ。その他半島にはジャコブ+マクファーレンの派手な「オレンジ・キューブ(9)」や緑色の「ユーロニュース・センター(10)」、クリスチャン・ド・ポルザンパルクの「 ローヌ・アルプス州庁舎(11)」、MVRDVの「モノリス」、隈研吾の「Hikari」など目白押しだ。

さて冒頭で述べた「都市は物語で満ちている」だが、リヨンでの物語の筆頭はル・コルビュジエの「ラ・トゥーレット修道院」だ。僕は仕事柄ここに3回ほど宿泊しているが、初めて行った時のこと。例によって昼間は、先述のリヨンのダウンタウンにある著名建築を見学する。リヨンの街が夕闇に包まれ始めると、バスはリヨンの西北西25kmにあるアールブレッスルに向かう。ここのエヴーの丘にあるのが、コルビュジエ後期の傑作「ラ・トゥーレット修道院」だ。 旅行中は毎晩ワインを飲みながら、昼間見た建築をみんなで批評したりするのが常だが、この日は修道院ということで、アルコールはご法度と思い、ガイドさんに「今日は旅行中初めてアルコール抜きの休肝日になるなぁ」というと、リヨンで絵描きをしている日本人男子のガイドさんが、「淵上さんとんでもない、赤ワインがバッチリでますよ!赤ワインはキリストの血ですよ」。僕の顔はほころんだに違いない。

さて夕食時間になった。大きな食堂(12)に6人ほどが座れる円形テーブルが6〜7個ある。部屋の両側にテーブルが配され、中央はおばさんが料理を配る配膳車が通る。料理は至ってシンプル。ウィンナー・ソーセージが入った豆煮(13)。パン、バター、デザートにチーズ。そして赤ワインが入ったデキャンターがあった!少ない料理でキリストの血をちびちびとやる。おばさんは配膳が終わるといなくなるので、ワインがなくなると、勝手にキッチンに行ってワイン・サーバーからデカンターに入れるシステム。これは仲間の若者にやらせたので僕は見てないが、2回ほど行くともうワインはなくなるのだ。 僕たちのグループはかなり飲むほうだが、ワイングラスで一人3杯くらい飲んだ。当然飲み助の僕たちには足りない。若者が「淵上さん、もうワインはないです」と、空のデキャンター(14)をもって戻ってきた。僕たちは途方にくれて物欲しげにあたりをキョロキョロ見渡した。すると、その雰囲気を察したのか、となりの外国人グループがデカンターの半分ほどが残っているワインを瓶ごと差し出してくれた!僕たちのテーブルは意地汚い連中が集まっていたようだった。

さて夕食が終わって解散だが、もっと飲みたい人や話したい人のために、大きなホールのような部屋が開放されていたので行ってみると、これが3月なので甚だしく寒いのだ。という訳で各自自分の部屋に引き上げた。しかしこの部屋は僧坊(15)であるために非常に狭く、そして厳寒の部屋!その狭さは、コルビュジエのモデュロールをご存知だと思うが、あの身長183cmの男性が両手を広げた180cmくらいの幅しかない。そこに幅90cmの狭いベッドがおいてあるから、通路部分も90cmくらいしかない。寝返りも危ないし、寝相の悪い人はベッドから落ちます! 窓側に長四角いテーブル(16)があり、その上に英・仏・西・伊語くらいで書かれた1枚の注意書きがある。曰く、この部屋には他人を入れてはいけない。飲食をしてはいけない。大きな声を出していけない。この部屋ですることは、瞑想、読書、睡眠と書いてある。それは修道僧が泊まる部屋だから戒律は厳しい。だが僕たちぐうたら飲み助には無理!おまけにこの部屋は超寒い。窓側の腰壁に温水暖房のパイプがあるが、ぬるくて暖房効果なしの状態。だからしょうがない、規則を破ってトランクから持参したシーバス・リーガルのプラスティック・ボトルを取り出してグイとあおった!水割りを飲みながら日記をつけて就寝。酔っているから寒さ対策にもなるし、寝返りも打たないだろうから、狭隘なベッドから落ないで朝を迎えられた。

シンプルな朝食後、みんな写真を撮りまくっていた。出発は10時。「ラ・トゥーレット修道院」はコルビュジエ作品の中では、一番多くのデザイン・ヴォキャブラリーが展開されている作品だと思う。だから写真の撮りである。宿泊できるコルビュジエ作品は他にマルセイユの「ユニテ・ダビタシオン(17)」がある。こちらは一応ホテル用につくった部分に泊まるので、居心地はいい。「ラ・トゥーレット修道院」はいろいろと不便はあったが、コルビュジエの作品に宿泊するという体験は貴重で生涯の思い出となっている。
(文章・特記以外の写真:淵上正幸/写真: コンフリュアンス博物館(8) by Duccio Malagamba/ オレンジ・キューブ(9), ユーロニュース・センター(10) & アルプス・ローヌ州庁舎(11) by Nicholas Borel.)

淵上正幸ホームページ > (株)シネクティックス http://www.synectics.co.jp/

淵上 正幸

淵上 正幸 Masayuki Fuchigami
建築ジャーナリスト&エディター

東京外国語大学フランス語学科卒業。2018年日本建築学会文化賞受賞。
海外建築家や海外建築機関などとの密接な情報交換により、海外建築関係の雑誌や書籍の企画・編集・出版をはじめ、イベント、建築家のコーディネーション、海外取材、海外建築ツアーの講師などを多数手掛ける。
主著に『世界の建築家51人-思想と作品』(彰国社)、『ヨーロッパ建築案内1~3巻』(TOTO出版)、『もっと知りたい建築家』(TOTO出版)、『アメリカ建築案内1~2巻』(TOTO出版)、『世界の建築家51人:コンセプトと作品』(ADP)、『建築家をめざして:アーキテクト訪問記』(日刊建設通信新聞社)、『アーキテクト・スケッチ・ワークス1~3巻』(グラフィック社)、『建築手帳2020』(青幻舎)などがある。

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